おはようございます。正直、ネタ切れの感があります。

たとえば、きのうのお天気などみていると、感染者が増えるだろうな、と思うのが普通だと思います。

寒すぎた、体にも堪えた、でも実際の感染者数は穏やかだったな、と思っています。この調子でいけば、終息は近いのかな、とは思います。

 

感染者拡大について

ツイッターにも記しましたが、地方都市に行くと、朝からパチンコ屋「だけ」は盛況です。朝から行く人たちのほとんどは高齢者。軽自動車で続々とパチンコ屋に入っていく。

この人たちは皆、年金受給者だよね、という風体をみなさんしており、そこからお金を稼ぐ経営者の資質ってどうなの?と思います。

若い人で、まだまだ稼げる人ならいいけど、もう稼ぐことができない人達からお金を巻き上げる商売ってどうなの?って私は思います。

こういう商売をやっている連中はお金が稼げなくて皆、困っていても、自分さえ儲かればいい、と言う発想になるのは当然のことです。

大阪府下では、休業要請を無視し営業活動を続けるお店があると聞きますが、普段からこんなことをやっている業界ですからそうなんだろうね、と思います。

やっていることはゴーンと一緒で、自分さえ儲かれば、他人の痛みなど関係ない、ということなのでしょう。

マーケットも同じで自分が買い方であれば売り方の気持ちがわからなくてはいけない、と思うのです。

みなが自粛を無視してお金儲けをすれば社会はどうなるのか? と言う発想がない訳です。

私などは町に出るたびにイライラするので田舎に戻りたい、ということが多々あります。

自転車が歩行者が邪魔だとばかりにチャリンチャリンと鳴らし、退くように促される、車を運転すれば、下手くそな横入りをする、イライラがピークに達する訳です。

いつからこんな風に日本はなってしまったのかな、と、思います。本当に自分さえ良ければ、他人なんてどうでもいい、と思う人が本当に増殖したな、と普段から感じます。

こういうピンチのときにはみな正義感を振りかざし、あれはダメだ、これはダメだと言い出す輩が増えるのも特徴ですが、いつもそういう風にやっているからこういうときだけ正義感を出す輩が多いのです。

こういう状態のときでもそういうことが平気でできる輩というのはこういうときも、こういうことをやるのです。パチンコ屋のように。言っても無駄なのです。

変に自己責任を追及した顛末がこういう結果なのです。なんでもかんでも自己責任にすりゃいいってもんじゃないよ、と思います。

他人に配慮するという当たり前のことができない都会の人が本当に多いと思います。

 

マーケットの未来価格について

人が判断をするのには基準が必要になります。

つまり価格には3種類があり、割安、割高、スクエアの3種類しかないのです。

これさえわかっていれば、マーケットは、今は、やるべきなのか、やらないべきなのかは判断することができます。

ところがその価値基準がみなさん、ほとんどの人が今、ない、と私は思います。

要するに自分勝手な価値基準によって、勝手に自分の都合の良いように相場を判断して、自分勝手な見解でマーケットに挑む、そして必然的に負ける、アホか、としか私には思えません。

よくテクニカルのコーチがマイルールを設定せよ、ということを聞きますが、これはある意味正しいのです。

要するに、自分の基準を設定すればいいのですが、その設定が自分勝手なルールなのですから、そして、自分に都合の良い解釈で勝手にルールを変更をする、そりゃ、自分で決めたルールでさえ、自分で勝手に解釈によって曲げれば、儲かる訳がない訳です。

つまり、日常生活でもルールがない人、そして、自分で決めたことさえも守れない奴がいくらマーケットの技術を磨いても無理、ということです。

マーケットの価格基準を割高、割安、スクエアと判断がつくようになったとしても、自分の都合のよい解釈などいつもしている人など、絶対に儲かる訳がないのです。

日経が18800円が基準だよ、と私は言っていますが、この値段を明示しても、普段から他人の気持ちを考えずに、適当なことをやっている人間にはこれは守れないだろうね、と私は思います。

相場で儲かる人間と儲からない人間などはっきりしていて、何かの世界で上手くいく人は、知識や経験がなくても儲かるでしょう。

でも、何一つ、うまくいくコツさえもない人には無理だろうな、と思います。

会社員という人間は、やっちゃいけないこと、やらなければいけないことを決めなくても会社では生き残っていくことができます。

理由は、上司や会社の言う通りにやって業績をあげればいいだけの話ですから。

でもいくら会社や上司の命令でもやっちゃいけないことを毅然として断ることができない人というのは、おそらくマーケットでも自分の都合のよいように解釈を変更して続けるのだろうな、と思うのです。

解釈など、頭のいい人間ならいくらでも都合よく解釈の変更なんかできる訳です。結果は大敗になるのは見えているのです。

自分の普段の生活の中からやってはいけないことを決めることが第一段階、そして第二段階はやってはいけないことを決めるとやることは決まってくるのです。

このITの普及によってパチンコ屋のように、社会ではやってはいけないことをやってもある程度お金はモテルような時代になったことがITの時代だと私が思うことです。

だから私はITに対して常に否定的なのです。恩恵は認めますが、これに過度に依存をしてはいけない、と私なりに依存をしてはいけない、と決めているのです。

理由は以前にも述べましたが、ITが人間を変える、なんてこのITをリードしている人間の主語が間違えているからです。

正しくは人間がITを変える、です。この主語を間違えている業界が将来、有望かといえば、私はどこかで大きな事故や事件を必ず起こす、と思っています。

考えていることはゴーンがロクでもない奴だ、と言ったことと同じ思考過程です。

ゴーンも合理化が日産を変えるとやっていたわけです。正しくは日産が合理化を変えるとならなければいけないのに、主語と述語が逆転しているのです。

後の言葉は意味がわからないですよね、これは、やっている意味、つまりゴーンのやったことの意味がわからない、こととイコールの関係なのです。

マーケットでも基準が必要なのに、その基準もないままに、売りだ、買いだのやっている人間が99パーセントなのです。アホじゃないの? と思うのです。

きちんと、割高、割安、スクエアの判断を下さないといけないのに、それさえもわからないのに偉そうに語る人のなんと多いことか、と思います。

そして基準がわかれば、何をメインに動いているのか、がわからないと未来の価格はわかりません。

原油の場合だとドルの上下だけで、買いか売りか、わかるのです。実際、私は細かいところはいっぱい外しますが、大きな流れでは一切、間違えていないのです。

それをあるときには正確な需給がわかり、あるときは一切需給がわからない、材料に焦点をあて、需給で原油は下がるはず、なんてやっている、人をみればこの人はいったい何? と思う訳です。

原油の需給など、株式のように発行株数がわかっている訳ではなく、未知なのです。

そんなものがメインで動いている要因の訳がないのに需給が需給が、と騒いでいるIEAなど曲がり屋の総本山なのです。

需給のリアルな需給はわからないけど、ドルのリアルの強さはわかる訳です。わかるか、わからないようなものが判断基準としている人は私からみれば頭がおかしいのです。

為替の場合はドル円ならばドル÷円なのです。その日々は株価に左右されると言っているのです。

南アやメキシコ、オセアニアをやっている人で株価をみている人いますか? 皆無に等しいでしょ。ユーロならドイツ株を見るべきですが、みている人いますか?

やるべきことを私はみなさんに上から目線で申し訳ないのですが、誰一人としてやっていないでしょ(笑)。

その前に自分の人生でやってはいけないことさえも決めていない人がこれを一生懸命やっても無駄だよ、と言っていることもさえもわからない人が多いでしょ。

こういうのは教育経済学では非認知能力と呼ばれるものになります。

この非認知能力で将来の年収や地位などが決まると一般的には言われているのです。やり抜く力、我慢するちから、これらは、みな数字で評価できないものです。だから非認知能力と言われるのです。

たぶん、この能力に優れている人は、今回のコロナによるマーケットの崩壊も、大きなけがなく乗りきっているとは思うのですが、いかがでしょうか?

そういうことを他人いえば恨まれるので言わないだけだと私は思います。

本日の相場は日経の基準値は19000円 くらいです。詳細な数字は忘れました。この基準さえもなくマーケットに挑もうとするのが私からみればおかしいのです。

私はニュースのヘッドラインを見て売り、と判断し、そしてテクニカルをみて、売りが本格化する可能性が高いかも、という確信に近い予測を出しています。

しかし、当たるかどうかは保証しません(笑)。